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2007年05月27日

メソポタミア文明-新石器時代01

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今日もほんとにあついですね。

昨日は、運動会があり強い日差しで結構日焼けしてしまいました。

この時期、少し油断すると日焼けでひどい目に逢うこともあると

思います。気をつけましょう!

今回は、メソポタミアの[新石器時代]です。

▼ここから

[新石器時代] 前1万年ころよりクルディスターン地域で初めて農業と家畜飼養が開始さ

れました。その後しだいに村落はザーグロスの丘陵などに広まります。ジャルモが典型的

な遺跡ですが、ほぼ同時代のアナトリアのチャタル・ヒュユク、パレスティナのイェリコで

はすでに大町邑さえも成立していました。前6千年紀には東シリアのハラフ(ハラフ文化)、

北イラクのハッスナ(ハッスナ文化)などでは、より進んだ村落文化がみられます。わずか

に遅れてザーグロスの丘陵のチョガ・マミ、サーマッラー近くのテル・アッサッワーン など

にサーマッラー文化が成立しました。前者は天水農耕成立のための限界降雨量の地域にあり

、また後者では天水農耕はまったく不可能でした。実際、チョガ・マミからは最古の灌漑用水

路跡が見いだされているし、テル・アッサッワーンでも確実に灌漑農業が行われていました。

遺跡規模はきわめて拡大し、村落ないし町邑を取り巻く防衛施設も発展しています。

 ユーフラテス流域最南部のペルシア湾に至るまでの地域は、歴史時代にはシュメールと呼

ばれました。ただし当時の海岸線は現在のそれよりははるかに北方にありました。シュメー

ル地方では前6千年紀後半のウバイド期(ウバイド文化)にはいってはじめて人間の居住跡が

見いだされます。とりわけ最南部のエリドゥではウバイド1期から前4千年紀後半のウルク

後期(ウルク文化)に至るまでの時期に、原初的な小祠堂が大規模な神殿へと連続的に発展し

ていました。この事実に注目する学者は、ウバイド期にすでにシュメール文化の原型が成立

していたとみています。ただし南部ウバイド文化の故地は明らかではないようです。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回からは、メソポタミア文明の初期について書きたいと思います。
posted by freework at 13:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月26日

メソポタミア文明

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回から、メソポタミア文明について、書いていきたいと思います。

初回は、メソポタミアの風土からです。

▼ここから

南部メソポタミアではエジプトのナイル流域地方とは違って両河および諸支流からの通年

式灌漑システムが必要とされました。また増水期には氾濫の危険性が大きく、さらにユー

フラテス流路が絶えず変わっていましたから、この地方では水の統御が人間の生活にとっ

て不可欠でありました。しかし、灌漑農業は天水農業とは異なり、場合によっては驚異的

な高生産力水準に達することもあった。前4千年紀末、メソポタミア最南部で最古の都市文

明が創出されたのも、このような高度の農業生産力が背景となっていました。

メソポタミア地方はアスファルトのほかには鉱物資源には恵まれていませんでした。他地

域から原鉱石を得るために余剰農業生産物、羊毛製品などを輸出するほかなかったので、

このような交易システムは、かえって古代メソポタミアでの農業や家畜飼育の大発展を促

しました。またメソポタミアには周辺諸民族がきわめて容易に侵入することができたので、

以下に概観を試みる古代メソポタミア史は諸民族の交替の歴史でもありました。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回からは、メソポタミア文明の初期について書きたいと思います。
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2007年05月21日

エジプトの王朝時代の社会と文化

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回は、エジプトの王朝時代の社会と文化について、書いていきたいと思います。

▼ここから

【王朝時代の社会と文化】

[社会] 社会の中心は王、すなわちファラオ(旧約聖書ではパロ,エジプト語ペル・アア〈大きな家〉

に由来)です。王は地上において創造神の役割を演じ、創造神が天地創造時に定めた宇宙秩序

(エジプト語マアト)を維持し更新することが期待され、この意味で神と見なされました。マアト維持の機

能と、人間社会に対する行政機能と、秩序を保証する神々との調和ある関係を保つための祭祀機

能とからなり、王はそれぞれを官僚と神官に権限を委任して代行させました。理念上,官職と神官職と

の区別はなく、いずれに任命されるかはまったく王の意志次第とされました。古王国前半においては、

ファラオの職務代行者はファラオの血統の濃い者こそふさわしいとして、要職は王族(とくに王子)に

独占されています。後には文字を習得し、有能でさえあれば、家柄に関係なく高位に昇進できるとさ

れていました。国家の要職についた官僚(および神官)が〈大人(たいじん)〉(貴族)です。古代エジプトの社

会層は〈大人〉と〈小人(しようじん)〉とに大別でき、下級官僚(〈書記〉)から〈大人〉への道は理念上平

等です。現実には教育を受けうるのは貴族の子弟に事実上限られ、中王国時代王権が積極的な

勧誘を行った場合を除き、農民や工人の子弟が〈大人〉になることは困難でした。

 軍役は賦役の一部として課せられたため、軍人層の成立は、大規模な軍事遠征が恒常化する新

王国時代以降です。しかしその社会的評価は低く、指揮官には文官優越の原則が堅持され、新王

国後半からは外人傭兵が軍隊の主力となっていきます。工人層(彫刻師,金細工師,金属細工師,宝石

細工師、指物(さしもの)師、大工、左官、石工、陶工、履物作りなど)は、原料のほとんどが国家の統

制品であり、独立自営は事実上不可能であったため、もっぱら国営の工房か神殿など公的機関の経

営する工房で働きました。新王国時代の王墓造営工人の集落がテーベ西岸のディール・アルマディー

ナに発見されています。対外交易は国家に独占され、国内の物資流通も国家統制下にあるため、新

王国末期にいたるまで商人層は存在しません。一般人民の大部分を占めるのは農民で、貢納と賦役

の主要部分を受け持ちました。貢租は収穫直後、収穫の2〜4割を納入、賦役は増水による農閑期に軍

隊として組織され、灌漑水路の開削や浚渫(しゆんせつ)、開拓、宮殿や墓陵の造営、採鉱・採石・交

易のための遠征や軍事遠征に従事しました。土地の所有権は王にあり、国有地もしくは神殿・官庁など

公的機関の直営領を割り当てられて耕作しました。新王国以降になると事実上の所有権をもち、土地を

売却する農民も出現します。官職に付随する土地、功労者に下賜された土地など〈大人〉層の場合に

は早くから事実上の土地所有が見られました。奴隷の数は少なく、家内奴隷が主体で、生産の主要な担

い手となることはなく、貢納賦役の忌避者、罪人、外人奴隷、奴隷の子などからなり、新王国では捕

虜奴隷が急増します。商業の未発達のため債務奴隷の少ないのがエジプト奴隷制度の特色です。

当時の生活の状況は墓壁に描かれた浮彫や絵画から具体的に知ることができます。

[宗教] 宗教は社会のあらゆる分野を支配しています。多神教で、自然現象、天体、動物、石、樹木

など人知を超えたあらゆるものに神性を認めて神格化し、部族、村落、都市、州ごとに守護神をもっ

ています。狩猟民の信仰に由来する動物神が多く、歴史時代にはいって神の擬人化が進んでも、完

全な人間の姿で表現される神はプタハ、ミン、オシリス、アメンなどごくわずかで、人体に動物の頭

をもつ姿で表現される神が多くなります(山犬頭のアヌビス、隼頭のホルス、雄羊頭のクヌムな

ど)。これらの地方神のうちプタハ、ラー、アメンなどは、国家統一後王朝の守護神・国家神として最

高神とされましたが、州の守護神もまたそれぞれの州で天地の創造者として最高神とされ、王の主宰す

る公儀宗教に組み込まれて厚く尊崇されました。これら諸神の並存する世界に秩序を与えるため、神々

を家族に構成し、特殊な職業の守護神と見なし(プタハは工人、クヌムは陶工、トートは書記、アヌビ

スはミイラ作りなど)、宇宙創造神話を軸とする神話の体系化(〈神学〉)を試みました。太陽神アトゥムを

創造神とするヘリオポリス神学、4組の原初の男女神(のち月神トート)を創造神とするヘルモポリス

神学、市神プタハの言葉による天地創造のメンフィス神学などが知られています。うちヘリオポリス神

学がアトゥムに代わってラーを創造神とし、冥界の支配者オシリスとその子ホルスを神々の系譜に

加えて優勢となり、創造神は太陽神ラーという観念が定着、新王国の国家神アメン・ラーのように、

他の神々もラーとの習合により創造神の地位を正当化していきました。神殿は神の住居とされ、王侯貴族同様

神官が召使いとして仕え、祭祀の基本は神像に対する身の回りの世話と飲食物の奉仕でありました。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

エジプトについては、ここまでとさせていただきます。

次回からは、メソポタミア文明について書きたいと思います。
posted by freework at 22:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月20日

エジプト文明 末期王国時代

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回は、エジプトの末期王国時代について、書いていきたいと思います。

▼ここから

[末期王朝時代] ヘリホルと同じころデルタのタニスで将軍スメンデス

が即位し、第21王朝を開きます。以後政治の中心は完全にデルタに移り、テーベは

アメンの聖都として宗教の中心地の色彩を強めていきます。前950年ラメセス時代以降傭兵とし

て定住していたリビア人の将軍シェションク(シシャク)がブバスティスに第22王朝を開

き、エルサレムを占領するなど一時勢威をふるいますが、のちサイスに第23〜24王朝が並立、政治・文

化ともに水準低下が著しく、第21〜24王朝を〈第3中間期〉と呼ぶ学者もいます。前8世紀後半ナイル第

4急湍地方のナパタに興ったエチオピア人の王がエジプトを征服(第25王朝)、アメン信仰の復興な

ど文化の再建に努めますが、前671年アッシリア王エサルハドンにタハルカ 王が追われ、エジプトは

アッシリア帝国の一部となります。しかし将軍プサンメティコス(プサメティコス)1世がイオニア人

傭兵の援助でアッシリアから自立(第26王朝)し、文化の復興のため古王国時代の芸術・言語・文字を

模倣した復古主義を推進しました。王はイオニア人傭兵をデルタに植民させ、のちアアフメス(アマシス)

2世がメンフィスに都を移しましたが、ギリシア人商人のため植民市ナウクラティスの建設を

許可、ギリシア交易の独占権を与え、経済の復興の一助としました。ネコ(ネカウ)2世は、アッシリア再興

のため援軍を送るが、前605年カルケミシュの会戦で新バビロニア王ネブカドネザル2世の軍に大

敗し、以後アジアへの野心を放棄します。オリエント世界を統一したアケメネス朝ペルシアのキュロス

2世(大王)の子カンビュセス2世は前525年エジプトを征服(第27王朝)、第28〜30王朝の下で一時的

に独立を回復しますが、再びペルシア帝国に併合され(第31王朝)、前332年アレクサンドロス大王に征

服されます。相次ぐ異民族支配の下でエジプト文明はますます神殿と神官の手で担われていくことになっていきます。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回は、中王国の後半について書きたいと思います。
posted by freework at 13:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月19日

エジプト文明 新王国時代2

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回は、エジプトの新王国時代について、書いていきたいと思います。

▼ここから

アマルナ時代[新王国時代――ラメセス時代] 第19王朝の

諸王は帝国の再建を試み、セティ1世はパレスティナの再征服に成功し、シリアに軍を進めるが北シリ

アはヒッタイト側にとどまります。ラメセス2世は北シリアの回復を目ざして東デルタに新都ペル・ラメセス

を建設し、オロンテス河畔のカデシュでヒッタイト軍と決戦するが痛み分けに終わり(前1286ころ)、の

ち前1260年ころヒッタイト王ハットゥシリ3世との間で平和条約を結んで、戦争状態の終結、政治亡

命者の引渡し、相互軍事援助、国境の現状維持を確認し合い、ヒッタイト王女を後宮に迎えました。そ

の際ヒッタイト王自身もエジプトを訪問しています。両国が防御同盟を結んだのはアッシリアの進出と

東地中海北部で新しい民族移動(〈海の民〉の移動)の動きが始まったためです。条約締結により

対外情勢は一時的に安定し、王の精力は国内での大建築活動に向けられました(カルナック神殿大列柱

室、アブ・シンベル神殿など)。メルエンプタハ王はリビア人と連合して、西デルタに

侵入してきた〈海の民〉(シチリア人、サルディニア人、アカイア人、リュキア人、テュルセニア人)を撃

退、捕虜を傭兵としてエジプトに定住させました。ヘブライ人の〈出エジプト〉は王の晩年の事件かもしれ

ません。〈海の民〉は第19王朝末期の混乱に乗じてヒッタイト王国を滅ぼし、第20王朝初頭水陸よりパ

レスティナ・東デルタに迫りますが、ラメセス3世はこれを撃破、捕らえたフィリスティア(ペリシテ)人らを南

パレスティナ海岸に定住させ国境の備えとしました。対外的には危機を脱するが、国内では神殿への

富の集中、神官職の世襲化、外人傭兵の増大、官僚の汚職など状況は悪化し、ラメセス3世を継

いだ4世から11世までの同名の王の間に王権は急速に衰え、アジア植民地は失われ、経済力も低

下しました。傭兵と神官のみ勢力を増大、ついにアメン大司祭ヘリホルが王位を奪取します(前

1070ころ)。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回は、末期王国時代について書きたいと思います。
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2007年05月18日

エジプト文明 新王国時代1

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回は、エジプトの新王国について、書いていきたいと思います。

▼ここから

[新王国時代――第18王朝] 前1542年ころテーベ王朝のアアフメス1世がヒクソス

の王都アバリスを占領し、ヒクソスを国外に駆逐し第18王朝を開きました。王はヒクソスの最後の根拠地を

たたくために南パレスティナに遠征し、下ヌビアも奪回します。トトメス1世は当時シリア・パレス

ティナに進出を図っていたミタンニに対抗して一時的にユーフラテス河畔まで占領することになります。

しかしハトシェプスト女王は平和交易政策に転じ、プントとの香料貿易を再し、国内ではディール・アルバフリー

の葬祭殿をはじめ、旺盛な建築活動を行い、芸術の復興を鼓吹します。女王の死後単独の支配者と

なったトトメス3世はただちにアジア遠征を再開し、17回に及ぶ出兵の末、北はユーフラテス河畔から

南はナイル第4急湍に達するエジプト史上最大の領土を獲得し、一時的な支配権の承認をこえた植

民地としての支配体制を確立します。王は有能な将軍であると同時に行政官であり、臣属国の君侯の

地位は保障して自治を認める代りに、長子を人質としてテーベの宮廷に集め、エジプト風の教育を

施します。アジアの支配地を三つの属州に分割してそれぞれ総督を置き、要所に駐屯軍を常駐させ、

臣属国に対する押さえとし、一方ヌビアは総督を置いて直轄支配地としました。王の巧みな支配体制は

帝国の繁栄を保障し、当時の大国(ヒッタイト、バビロニア、アッシリア、キプロスなど)はこぞって友

好関係を求めて朝貢します。交易圏はエーゲ諸島からアラビアに及び臣属国の貢租や戦利品を含

めた膨大な富が王の宝庫に流入し、カルナック神殿はじめ豪壮な建築にあてられました。トトメス4世

のミタンニとの同盟とミタンニ王女の後宮入りにより支配体制はいっそう固まり、アメンヘテプ3世

(在位、前14世紀前半)の下で頂点に達します。当時のエジプトを軸とするオリエント世界の

外交関係の史料が、楔形文字で記された〈アマルナ文書〉として残されています。

 しかしこの征服の加護者とされたテーベの守護神アメンもまた大量の富や土地の寄進を受けて経

済力を蓄え、アメン神官団の政治や王位継承への介入が始まります。神官団の影響力を排除し、王権

の一元支配の貫徹をめざしたのがイクナートン(アメンヘテプ4世)の〈宗教改革〉です。しかし急激

な改革に伴う内政の混乱とヒッタイトの進出によるアジア植民地の喪失は官僚と軍人の信頼を失わ

せ、改革は一代限りで終わり、ツタンカーメン王による伝統信仰の復興がなされることになります。

アメン神官団の支持で将軍ホルエムハブが即位し、王権側の試みは挫折して軍人と神官の勝利に終わります。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回は、中王国の後半について書きたいと思います。
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2007年05月13日

エジプト文明 中王国時代3

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回は、エジプトの中王国についての後半について、書いていきたいと思います。

▼ここから

エジプトは、第13王朝にはいると王権は再び衰えて王位は次々と交替していきます。しかし前半は官僚

機構が有効に働いたため社会の混乱は少なくすみました。しかし、デルタ東部国境の防備が手薄となった

のに乗じてヒクソスとよばれる異民族がアジアより侵入、デルタ東部を中心に定着し、傭兵として実力を蓄

えたのち、前1650年ころクーデタにより新しい王朝を開きます(第15王朝)。前2千年紀前半の西アジアはイン

ド・ヨーロッパ語系諸民族の移動を契機とする民族大移動期にあたり、小アジアのヒッタイト、ユー

フラテス上流のミタンニ、バビロニアのカッシートなどインド・ヨーロッパ語系民族を支配者とする国家

が建国されていきます。この余波がシリア・パレスティナを経てエジプトにも達したもので、第15王朝を

形成したヒクソスの主力民族については北西セム人(アモリ人)説とフルリ人説とがあり対立しています。

第15王朝はデルタから南パレスティナを直接支配するとともに上エジプト、ヌビアには宗主権を行使し

ました。ヒクソスの支配はエジプト史の転換点といえます。アジアの一部を包含する国家の出現の結果エ

ジプトはそれまでの交易中心の相対的孤立状態を脱し、政治・経済・文化ともにアジアと緊密な関

係をもつようになっていく。ヒクソス自体は独自の文化に乏しいが、馬と戦車、複合弓、青銅製の剣

、小札鎧(こざねよろい)など各種の軍事技術・兵器をはじめ,新しい文化要素がさかんに流入しました。

ヒクソスの宗主権下にテーベに成立した第17王朝は、異民族支配からの解放を旗印に職業軍人層の養

成、軍事国家体制の整備、国民意識の高揚に努力し、新王国時代の対外進出の道を準備していくこと

になります。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回は、新王国時代について書きたいと思います。
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2007年05月12日

エジプト文明 中王国時代2

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回は、エジプトの中王国についての続きを、書いていきたいと思います。

▼ここから

中央集権化の実現へ向けて準備として、

王に忠実な官僚を養成するため、第1中間期に形成された都市居住の工人層や王に直属する小土地

保有民(いわゆる〈庶民〉)の子弟に対し教育を奨励し、文字を習得させるようにしました。

アメンエムハト1世の方針は、王の暗殺にもかかわらずセンウセルト1世以下の諸王によって受け

継がれ、第5代センウセルト3世(行政改革)の断行により完全な中央集権化に成功します。

対外交易も活発で、ビュブロス,、クレタ、プント、シナイ半島、ワーディー・ハンマーマートに

しばしば通商のための遠征隊が派遣され、王権の経済基盤強化に貢献しました。ヌビアに対しては

軍事遠征が行われ、植民地化が試みられたこともありました。

センウセルト3世は治世の前半ヌビアに親征して第2急湍地方までを領土とし、セムナ、ブヘンなどの

要塞を築いて南から攻撃の備えとしました。行政改革によって完成した官僚機構は、古王国に比べて官僚の数が

はるかに多く、機構も複雑化し、同一の任務に必ず複数の官僚が関係し、相互にチェックし合い、最終の

判断は宰相を通じて王に一元化するしくみと変えていきます。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回は、中王国の後半について書きたいと思います。
posted by freework at 15:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

エジプト文明 中王国時代1

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回は、エジプトの中王国について、書いていきたいと思います。

▼ここから

古王朝の最後にエジプトは南北2王朝に別れ対立していましたが、南が北を征服して統一を

回復するというエジプト史の基本パターン通り第11王朝メンチュヘテプ2世によりエジプト

が再統一されます。以後テーベは約1000年にわたりエジプトの政治の中心となり、

その守護神アメンも王朝神・国家神として神々の王の地位を保っていくことになります。

第11王朝は中央集権国家体制の再建を急いだため、第1中間期に成長した世襲貴族の反発

をかってクーデタで倒される結果となりました。そして、アメンエムハト1世を祖とする第12王朝

が成立します。新しい王朝は地方有力貴族の多くを州知事に任命、貢租の一部の自由裁量処分

や私兵の保持など支持勢力である世襲貴族の特権を尊重するが、州知事間の衝突や特定の州知事

の勢力拡大を防ぐため、州の境界と灌漑水路の用水権を明確に定め、裁判官の任命権を確保、

王権の経済的基盤を強化するためファイユームの干拓に着手し、首都をテーベからファイユーム盆地

に近いイチ・タウイ(現在のラーフーン)に移すなど将来の中央集権化の実現へ向けて準備していく

ことになります。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回は、中王国の後半について書きたいと思います。
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2007年05月09日

エジプト文明 古王国時代3

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回は、ピラミッドについて、書きたいと思います。

前回は、エジプトの古王国(ピラミッド時代)について書きましたが

そのピラミッドについて、もう少し詳しく書きたいと思います。

▼ここから

ピラミッドは、第3王朝のジェセル王がサッカラに造営した階段ピラ

ミッドを最初として、第4王朝の祖スネフル王のメイドゥーム、ダハシュールのピラミッドを

経て、ギザの三大ピラミッド(クフ、カフラ、メンカウラ 3王のピラミッド)で

頂点に達することになります。とくにクフ王の大ピラミッドの周囲には整然と配置された王妃の

小ピラミッド等、王族・高官のマスタバ墳は、高度に中央集権化された国家の身分秩序

を忠実に反映しているとされたいます。第5王朝にはいると太陽神ラーの信仰が有力となり、

王はピラミッドと同時に太陽神殿をも造営し、国家祭祀の中心は王から太陽神に移って行きます。

このためピラミッドは小規模となり,建造技術も急速に低下し建造自体されなくなって

いきます。この後、エジプトは混乱期に入り南北2王朝の時代を経て、11王朝のアンテフ

により、統一され中王国の時代が始まりました。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回は、中王国について書きたいと思います。
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2007年05月07日

エジプト文明 古王国時代2

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

今回は、ピラミッドについて、書きたいと思います。

前回は、エジプトの古王国(ピラミッド時代)について書きましたが

そのピラミッドについて、もう少し詳しく書きたいと思います。

▼ここから

ピラミッドは、第3王朝のジェセル王がサッカラに造営した階段ピラ

ミッドを最初として、第4王朝の祖スネフル王のメイドゥーム、ダハシュールのピラミッドを

経て、ギザの三大ピラミッド(クフ、カフラ、メンカウラ 3王のピラミッド)で

頂点に達することになります。とくにクフ王の大ピラミッドの周囲には整然と配置された王妃の

小ピラミッド等、王族・高官のマスタバ墳は、高度に中央集権化された国家の身分秩序

を忠実に反映しているとされたいます。第5王朝にはいると太陽神ラーの信仰が有力となり、

王はピラミッドと同時に太陽神殿をも造営し、国家祭祀の中心は王から太陽神に移って行きます。

このためピラミッドは小規模となり,建造技術も急速に低下し建造自体されなくなって

いきます。この後、エジプトは混乱期に入り南北2王朝の時代を経て、11王朝のアンテフ

により、統一され中王国の時代が始まりました。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回は、中王国について書きたいと思います。
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2007年05月06日

エジプト文明 古王国時代1

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。

本日は、エジプト文明についての1回目です。

エジプトの統一についてです。

▼ここから

エジプトは、紀元前3000年頃にハム族により統一国家が作られ、この国家(王国)は

26の王朝が交代したそうですが、今は研究が進んでもしかしたもっと多いかも知れません。

そして、この王国は三期に分けて考えられています。

その三期とは、古王国、中王国、新王国です。

今日は、古王国について書いてみたいと思います。

古王国(1〜10王朝)

ナイル川流域には、ノモスと呼ばれる地方的な都市国家ができてきましたが

例によってこれらの都市国家は統合されていきます。そして、紀元前3000年ごろに

メネスという王様により統一され、首都をメンフィスにおき最初の統一王国を作りました。

この王国では、神権政治、絶対君主政治が行われ、神官、官僚、農民、奴隷という階級

がつくられました。そして、4王朝あたりから巨大なピラミッドが盛んに作られるように

なりました。

王は天の神ホルスの化身とされ、第4王朝初頭では太陽神そのもの、第5王朝以降は太陽神ラー

の子として統治し,死後は冥界の支配者オシリス神として永遠に支配するとされ,これに

ふさわしい墓所として壮大なピラミッドが造営されました。このため古王国時代は

(ピラミッド時代)とも呼ばれます。

▲ここまで

本日は、これで終わりとさせていただきます。

次回は、有名なクフ王のピラミッド等について書きたいと思います。
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2007年05月05日

世界の四大文明

こんにちは!

日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて

自分の勉強も兼ねて、

日記風に書いていこうと思います。


最初は、世界の4大文明です。

1.エジプト文明
  紀元前6000年ごろから農耕が始まり、紀元前3000年
  ごろにハム族による統一国家が誕生した。

2.メソポタミア文明
  紀元前5000年ごろから開けはじめ、この地は東西の重要な
  公通路にあたり早くから通称が行われた。また、この沃土をめ
  ぐって多くの民族が興亡した。

3.黄河文明
  紀元前3000年ごろに農耕文化が誕生した。黄河流域で原シナ人
  によって農牧業が始められた。

4.インダス文明
  紀元前2500年ごろより農耕民族を中心とした都市文明が現れ
  500年ほど栄えた。

以上が世界4大文明となります。

一方、アメリカ大陸ではベーリング海峡を渡って南下してきたと考えられる
アメリカインディアン(モンゴル系)によって、3世紀ごろより始まり
6世紀ごろにマヤ・アステカ文明がとして栄えた。

というように、文明が世界に誕生し始めたようです。
日本は、1世紀ごろより農耕がはじまり3世紀中ごろに大和朝廷が誕生しました。



最初の文明とは、どのような生活を送っていたのか非常に興味があります。

タイムマシンがあれば、その興味のある場所と時代を選んで観光(観察)

する感じで訪れて見たいものです。
posted by freework at 15:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする