日本の歴史、世界の歴史、地球の歴史などについて
自分の勉強も兼ねて、
日記風に書いていこうと思います。
今日は、7月の最初の日曜日ですげ、程よいあつさですね。
天気が曇りか雨か、どうなるか分かりませんが!
今回は、メソポタミアの[アッシリア時代]です。
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[アッシリア] アッシリア人は前18世紀以後フルリ人のミタンニ王国の圧力下にありましたが、ミタン
ニの崩壊にともない、前14世紀中頃に実質的な国家に成長しました。前14世紀以来、シリアと
北部の山岳地帯に接する領域を支配し、またバビロニアにも侵攻しました。しかしこの頃、セム系のアラム
人が北部メソポタミアで力を持ち始め、アッシリアは一時衰退することになります。しかし、アッシリア
は勢力回復とともにアラム人の小国家を征服します。前8世紀末には政治的実体を失いますが、アラム文字、
アラム語は、メソポタミア全域に浸透しました。とりわけペルシア帝国治下の西アジア全域でアラム語
は最も重要な国際語として用いられることになります。そして、前10世紀中頃以後アッシリアは大発展を
遂げました。
アッシュールナシルパル2世はティグリス河畔にカルフ(現、ニムルド)を建設しました。そして、前8世紀
後半のティグラトピレセル3世のとき、地中海からバビロニアに至るまでを領有する大帝国が成立します。
8世紀末のサルゴン2世はイスラエル王国を属州とし、またバビロニアではセム系カルデア人の抵抗を粉砕
しています。ニネベ近くには新都ドゥル・シャッルキン(現、コルサバード)も建設されましたが、次の王は
首都としてニネベを再興することにしました。エサルハドンのときバビロンを再興し、前671年にはエジプト
を侵略し、初めてメソポタミアとエジプトが統一されることになります。
次の王アッシュールバニパルは上エジプト、テーベをも破壊しました。アッシュールバニパルは文書
記録の保存に熱心で、ニネベに図書館を建設しました。ニネベ発掘の際ここより出土した粘土板記録は、
近代アッシリア学成立の基礎材料となっています。同王の末期にはスキタイの侵入などにより帝国は弱体化
していきます。 一方イラン高原では前670年ころメディア人の諸部族が統一され、しだいにエクバタナ
(現、ハマダーン)を中心に力をつけていきます。またカルデア人のナボポラッサルは前625年にバビロン
に入城し、カルデア王朝(新バビロニア)を樹立ししました。アッシリアの首都ニネベはメディア、新バビ
ロニア連合軍によって前612年に征服され、ここにアッシリア帝国は事実上滅亡しました。 アッシリアの
帝国形成は、卓越した軍事力と巧妙な外交政策によるところが大きいものでしたが、商業の繁栄、貢納・徴税
による安定した財政も帝国維持に役立ちました。また道路網、駅伝制度もよく整えられ、これらはペルシア
帝国に受け継がれました。前8世紀ころからは、帝国に編入した諸民族を大規模に強制移住させる政策も定着
していきます。
▲ここまで
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エジプトもそうだと思いますが、いろんな王国の興亡の中で、財宝とか秘宝とか宝物がそのつど作られたり
築かれたりしたのでしょうか!そして、それが後の時代の宝物探しや墓荒らしへとつながり、だんだんと伝説
化していくのでしょうか!日本にもいろんな埋蔵金とか伝説がありますが、真偽のほどは・・・・・
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本日は、これで終わりとさせていただきます。
次回は、メソポタミア文明の新バビロニアについて書きたいと思います。
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